Microsoft Image Composite Editorを使ってみた!

TERRAZINEに書いてあった、MSリサーチ謹製のパノラマ写真合成ツールってのを使ってみた!

5年前にドイツ旅行に行ったときに持って行ったIXYに「パノラマ撮影モード」ってのがあったんで、これで適当に撮れば合成されるのかなーと思って連写してみたらただ単に画像に連番が振られるだけだったという。自分で合成するのめんどいんでそのまま放置してあった写真がついに日の目を見る!

まずはバラで撮った写真。













撮影場所はドイツ南部のホーエンツォレルン城から城下遠景。
もちろん三脚とか持ち歩いてないので手で持ってぐるっと回って撮ったんだよ!

で、さっそくICEにドロップしてみると・・・

おおー。

こりゃすげー。

↑クリックするとつながったやつが見られるけど、何しろ横ピクセルが4000ピクセル以上、縦横比が1:9くらいあるんでちっちゃく表示される。5枚以上つなげてもあんまり面白くないっぽい。

というわけでいろいろつなげてみたよ。

城への登山道から城郭を見上げる(4枚合成)

麓を見下ろす(4枚合成)

ハンブルク港(4枚合成)

ラボーからキール湾の砂浜(3枚合成)

同じくキール湾(5枚合成)

海軍博物館の展望台からキール港方面を見下ろす(3枚合成)

人類にとっていまいちばんホットなもの

長生きしたい 町田メガネは治らない/ウェブリブログ
僕の考えでは、その面で言うといま一番ホットなのはマクロ経済というか大絶賛進行中の金融不安だと思う。

これまでローマ遠征から十字軍から世界大戦からイラク戦争までありとあらゆる戦争は政治的理由を信管に経済的理由を炸薬として発生してきたので、今回の金融不安がどこかでの戦争に至るのかそれ以外の方法で終息するのかによって人類の成熟度の試金石になると思っている。

前回の世界恐慌のときは反動でナチスが台頭して2次大戦につながった。今回はアメリカの同盟国でない中国がアメリカドルを莫大に買い支えているという不自然な状態にどうケリがつくのかわからない。最近の五輪がらみはチベットなんか国際社会はどうでもよくて、結局はこの経済問題に根っこがある。このまま五輪が成功して中国を無制限に強力に経済と国力を発展させていったら西欧社会ヘゲモニーが転覆するという危機感がある(だからアジアアフリカはそれほど騒いでないが西欧は激烈に反応している)。アメリカが最近北朝鮮に妙にやさしいのもこのへんを見ているはず(核問題をなだめきって中国に貸しをつくっておきたい)。

10年くらいのスパンで見たときにどこかで戦争になるかもしれないしならないかもしれない。正面戦争は確率は低いけどゼロではなくて、代理戦争の確率はそこそこ高い。
ソビエトゴルバチョフが書記長に就任してから6年でこの世から消えたので、10年あればどんなことでも起きるし、そのきっかけはこの金融不安かもしれない。

そのへん俺たちはアツい時代に生きているな、と思っている。
次の時代を目にするのに、そんなに長生きする必要はないかもしれない。
ただ、ボストン港で茶の箱を海に投げ捨てた連中は、その後独立戦争が終わってアメリカが世界の教科書の中心になるまで、自分たちが歴史の教科書に載るなんて気づきもしなかったことも確かだと思う。

ベーシックインカムは貧しさを駆逐するか

なぜ、「貧しさ」というものがあるのか。
ここでいう「貧しさ」とは、単におカネがなくてモノが買えない、ということではない。ある個人について、「富」が不足することにより、生存に支障をきたす可能性のある事態、と定義しておく。
ここでいう「富」とは、生きるために必要なもろもろのもの、空間、栄養源、安全、生存実感、社会インフラ(を利用する権利)といったもの全般をさして使う。一般的には、おカネがあればそれらが手に入るので、これらが不足しているということは、往々にしておカネが不足しているということを意味する。しかし、「富」=「おカネ」ではないことにだけ注意して欲しい。

人類は、有史以来爆発的な加速度で「富」の生産能力を増やしてきた。
人類の歴史は、「貧しさ」を遠ざけるための戦いの歴史に他ならない。しかし、1万年にもわたる必死の戦いを続けてきたにもかかわらず、どうしていまだに貧しさを地球上から駆逐できないでいるのだろうか。

地球上にはすでにじゅうぶんな「富」が存在するのではないか。一部の「強い人たち」が、これを独占し、弱者から搾取しているために、「富」の偏在が起こり、本来ならじゅうぶんにあるはずの「富」の不足がおきて、貧しい人たちを生んでいるのではないか、という考え方をする人がある。
しかし、私はこの考えには、ひとつ考え足りない点があると思う。

それは、人類は、その「富を生産する力」を増やすと同時に、「ひとりが生きていくために必要な富」の基準を引き上げ続けてきたし、それよりもまして、人類の数もまた、有史以来爆発的な加速度で増やしてきたということだ。
人類もまた生物であるから、「富」のあるときは、「富」のあるかぎり殖えよとその遺伝子に刻まれているし、実際にそうしてきた。人類の増加ポテンシャルはまだまだ全開には程遠く、事実上「富」が許す限りいくらでも増えるのだから、どう考えても「富の増加率」≦「人類の増加率」となる。
この問題の前には、ひとりあたりが必要とする「富」の増大だとか、「富」の偏在だとかは些細な問題にすぎない。本質的に、根源的な問題なのだ。

われわれの肉体が、大気圧と内圧のバランスをとって存在しているように、人類は外部環境からの圧力と、殖えようとする内圧とのバランスをとって存在している。つまり、「貧しさ」とは、人類の増殖欲求と、その外部環境との境界領域のことである。
「貧しさ」が、人類の増加曲線と、富の成長曲線の境界に存在するということは、富の成長率が人類の増加率を上回らないかぎり、それは存在するということになる。
人類が「富の増える限り殖える」という志向を持ち、またそれをいつまでも保てるほどの増加ポテンシャルを持つのであれば、「富が無制限に増加する」という状態にならない限り、富の成長>人類の増加とはなりえない。


ベーシックインカム制度が、究極的には「貧しさを遠ざけよう」ということを目的とするのであれば、ここが最大のネックとなるはずだ。これまで述べたとおり、「人類は増える余地があるときは増える」という性質を持つ限りは、単に再分配のやり方を変えるだけでは、かならず破綻せざるを得ない。貧しさが遠ざかれば人はその数を殖やし、みずから貧しさに近づくのだから。

つまり、ベーシックインカムによって「貧しさ」を遠ざけ、なおかつそれを持続的なものとするなら、ベーシックインカムは「貧しさの代替機能」を持っていなければならない。すなわち、「人の増加速度」を抑えるように働かなければならない。もちろん「貧しさ」によるものよりはマシな方法で、だ。

ということは、ベーシックインカムを受給する資格があるのは、「殖えない」ことに同意した人だけであるべきだ、ということになるのではないだろうか。

もちろん、まったく子供を産まない、という必要はないが、受給希望者は、国による人口調整政策に基づいて、時期および人数についての制約を受け入れることが必要だろう。


というようなことを想像した。
書いていて、そもそもベーシックインカムが議論されてるのって「貧しさを遠ざけたい」からなの?っていうあたりから疑問がわいたので適当にやめる。

たべもの感情移入

しかしステーキの喩えの暴走しっぷりにはびっくりだ。
「米だったらどうよ」「俺はカレーならいける」とか、まあ示唆に富むとも言えるが議論振り回されすぎ。
「俺は米なら毎日食える」のは結構だが、それは日本人ならほとんどの人がそうだから特質ではない。
知り合いに毎日カレー食い続けるカレーマラソンをそろそろ1000日目達成する女性がいるな。スリムなのがすごいが。
でも、ボンカレーラソンが1000日達成できる人はいないだろう。

言っておくが「ウェブ時代をゆく」は読んでない

分裂勘違い君劇場の
「好きを貫く」よりも、もっと気分よく生きる方法 - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ
という記事に対して
http://d.hatena.ne.jp/waseda23/20071210/1197270243
それは梅田の説く「好きを貫く」とは違う、という指摘。

俺は梅田本ウェブ進化論しか読んでないので、梅田氏がほんとはどう言ってるか知らないが、すくなくともid:fromdusktildawnが言ってるのは「スペシャリストになんてなれないからゼネラリストになろうぜ」という話で、id:waseda23の言ってるのは「いやいやほんとうのスペシャリストというのはいるんだよ」という話と読んだ。

本当にスペシャリストになれるのは、選ばれた人だけ。マキャフリィの「パーンの竜騎士」に出てくる竜騎士みたく、自分の竜(仕事)と互いに魅入られて幸福な関係を築ける人だけだ。対象のことがらについて適性、きっかけ、センス、根気、そしてなにより猛烈な執着をもつ。それ以外のことは関心がないし、できるならしたくない。

いっぽう、誰の何の話でも聞ける人というのもいる。聞くばかりでなく、聞いたものを自分の力として使える人というのが。さまざまなものに関心を示し、演繹と帰納でそれらを効率よく吸収し、同じとみなしてよいものと微妙だが絶対に異なるものを見抜き、なんにでも応用していく。そしてなにより次々と取り込んだものに振り回されない強力な自我を持つ。id:fromdusktildawnの言ってるのはこっちだ。FF5の「すっぴん」みたいなもの。最終的には、どんなジョブのアビリティも使える。

どっちがどうという話ではなくて、そういう方向性の違いがあるということ。
だれもが竜騎士にはなれない。でも、何かのジョブをマスターしてないすっぴんはただの人だ。