メモ帳を整理していたら昔の文章が出てきたので打ち込んでおく。


商業が大企業に独占されたのはこの50年のこと。
規模の経済が個人事業を駆逐した。

大企業は残存していく
大企業は先鋭化していく。
本物の企業の本物の正社員でいることはますます難しくなっていく。

一方、大企業の中で「本当に価値創出している人」は少ない。
価値創出していける人はマーケットにリーチできるようになる。

マーケットと向き合えるのは大企業だけ
規模の経済に地域が巻きこまれていく。
地域をマーケットにしていた中小企業、個人商店はマーケットを奪われて滅びていく
大企業がマーケットのメインストリームを独占しつつある。

一方、ネットによってニッチ市場、ロングテールが拓かれた。地域以外のチャンネルが個人や中小に拓かれた。フラット革命。

フラット革命によって消費者の面前では大企業と個人商店は対等たりうる。

・・・すべてが対等たりえない。
「ものづくり」 Productsは大企業の独壇場。

機械的に量産し得ないもの、手工業品、芸術品
創り手が直接市場にリーチできる。
中抜きによって、規模の経済に対抗する。
(インフラが充分に発達し安価であること)

∴個人が作りえるものを主たる商品としている企業は苦しくなっていく。

個人が作ったものと企業が作ったのの見分けがつかないか、ついたときに個人が作ったものの方が価値があると判定されるときに。

フリーランス

企業にとって「すべてを内製する」意味が失われていく。
企業がすべての機能を内製化していたのは入手困難性と機密性。

専門化したOutSourcerは食える。

専門化が参入障壁を生む。

重要なのは需要。

需要は十分か?
ロングテールだけでは不十分と思われる。
仕事をもらうのでは駄目だ。
仕事をこなすのは価値を生むことではない。もらえる仕事は他者代替可能である可能性が高い。

需要がわかれば、それを満たすことで報酬を得ていける。

誰もが需要のありかを知りたい。

未来のネットが、この需要情報をきちんと流通させるならば、それは中小企業を代替しうる。

企業とは、そもそもが需要を仲介する存在である。
 企業に所属することで仕事を割り当ててもらえる。

仕事がどこにあるか
仕事を手に入れる能力が最も重要。

ネットがそれを代替するなら。。。

観念論

恐ろしいのは失業なのだ。

失業が怖いから、人は企業にしがみついて、どんなつらい仕事もする。

仕事がきちんと流通するならば(食べるものは地球上に充分あるのだから)、お金さえあれば食えないことはない。

お金がないことが問題だ。食べものがないことが問題ではない。

富が偏ることは(それほど)問題ではない。

仕事が(賃金を得る術が)偏ることが問題なのだ。

しかし競争は必要である。

労働はダンピングされている。トイレットペーパが買い占められるように。

企業に勤めるということは、自由を差し出す代わりに、必要量の仕事をもらう権利を得るということ。しかし仕事はチャンクであるので、ときに過小ときに過大である。(そしてほとんどの場合過大である)

「受注できないリスク」を受け入れなければ、自由は得られない。

「経済的自由」は、労働からの自由 ではなく、受注できないリスクからの自由
(受注できないまま迎えてはいけない日を無限遠に遠ざけること)


メモ

おそらく08年の今ごろに書いたと思われる。仕事を辞めるかどうするか悩んでいた頃。